2013年3月8日金曜日

食による人間関係と健康と社会

あなたはこれまでに
感動するほどのレストランに出会ったことがありますか。


それはどんな店でしょうか。


ぜひ教えてほしいと思います。


単純に行ってみたいのもありますが、それだけでなく
どうして感動するのか、
他の店と何が違うのか、
その理由にも大いに興味があります。


僕もいくつかあります。
中でも一番は、前職で石川県に転勤していたころにお世話になった店。
金沢駅から5分ほど歩いた先にある「心味」さんです。

ジャンルは創作料理で、
和のテイストを中心に据え、日本的な上品さが料理に心地よく溢れているのですが、
欧風の味付けと盛りつけも存分に楽しませてくれます。
野菜へのこだわりは強く、地元農家に毎朝バイクで取りに行っているそう。
またその種類と調理法は、観るほど創り手の趣と匠を感じるものです。

何よりオーナーシェフの宮津さんが素敵です。
ランチでもディナーでも、食後の会計のあとは、
可能な限り厨房から出てきてご挨拶してくれます。
最高の笑顔で。最高の声で。(妻曰く声フェチには堪らないらしいけど笑)

お客さんと料理への深い愛が伝わってきます。
内装、テーブル、スッタフの振る舞い、メニュー、料理、器・・・それらすべてからです。
宮津さんの想いの深さ、強さ。人柄の優しさ、気品。
これまで一体どれほどのものを積み上げてきたのだろうか。
そういう諸々を思うと感嘆せずにはいられません。

この店は僕のなかで、本物のサービスを語る上での確かな基準となっています。


さて。

美味しいものを食べているときって、
心から幸せを感じますよね。


それも素敵な雰囲気のお店で、
一流のシェフによる料理を、
心のゆき届いたサービスとともに提供され、
大好きな人と楽しい会話をしながら食事をする。
なんて、まさに至福のときです。


なんだか思い浮かべるだけでも幸せな気分になってしまいます。


仕事で社内外のキーパーソンと仲良くなりたいとき、
誰かと大切な事を本音で話したいとき、
恋愛において素敵な彼(女)にアプローチするとき、
やっぱり食事が一番ですよね。

エスコートした店で料理とサービスの感動を共有できたら
それがたった一度のチャンスだったとしても、驚くほど心理的な距離は近づくものです。


そういえば男性が結婚を考える女性に望むことのうち、
「料理が上手いこと」のポイントは昔っから根強い人気があります。


誰かを祝ったり皆でパーティする等の特別なときだけでなく、
なんでもない日常生活においても、
食事のクオリティが高いということは重要だということでしょう。


医食同源という言葉もあります。

日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで、
病気を予防し治療しようとする考え方です。

3000年程前の中国(周)では、薬や執刀をする内科医や外科医よりも、食医が最上位に位置されており、皇帝の健康管理を任されていました。
ご存知の方はイメージしやすいと思いますが、
韓流ドラマの『チャングムの誓い』の主人公がまさにそれです。(このドラマ父と母が大好きなんです)

予防と養生が大事である、ともよく聞きます。
悪い症状が出てから何とかする対症療法は、身体への副作用の負担と医療費が大きい。そもそも対症なので、根治を目的にしない治療であることも多い。(風邪薬もそう)
だから本質的な健康維持は予防にあり、その中核は食事にあると。

医療コストを比較すると、
病になる前の予防医療に比べ、
病になった後の対症治療は100倍の社会コストがかかる、と言われています。

そして現代医療の大半は対症医療であり、
国民医療費は約38兆円であり、年々過去最高を更新しているのが現状です。

健康を求めたとき、
日々の食事の質を高めることが最も合理的であり、
それこそが医療の最高峰といえるでしょう。



さらに。



食の生産のあり方、
食の分配のあり方、という視点。

そこまで見方を広げていくと、
自然環境と経済の持続可能性。
共同体の緊密化と平和の安定。
・・・という一大テーマになります。

世の社会問題の根本的解決にも辿り着きます。

一例をあげます。

江戸後期の二宮尊徳(金次郎)。1787年生まれ-1856年没
薪を背負って本を読んで歩いている彼ですね。
戦前では勤勉の象徴として、
日本全国の小学校にその姿の銅像が建てられていました。

19世紀はじめ、日本の農業は悲惨な状態にあったそうです。
長期にわたる泰平の世の果てで、あらゆる階級で贅沢と散財がなされ、人々に怠惰の心が蔓延って田畑は荒れていた。真面目に働く民も少なくなっていき、土壌の生産性も落ち、多くの地域で収入は3分の2になっていた。彼はそんな荒廃と貧困に苦しむ農村を再生した。その数600以上に及びます。


なぜそれが可能だったのか。

第一に、道徳と信念の強さ。

第二に、農業を中核にした実学と自然摂理の理解。

第三に、報徳金という救いと人格を担保にした無利子金融。


今回は一についてのみ述べます。
あるとき尊徳は藩政の執行をしていた国家老に対して講話を行いました。
偉い官僚と政治家に、各地で地域再生の実績をあげている民間のリーダーが、食糧難という国家危機についての現実的なアドバイスをするというシーンです。

『手立てに困った時の飢饉の救済法』

内村鑑三著「代表的日本人」より引用

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「国が飢饉をむかえ、倉庫は空になり、民は食べるものがない。

この責任は、治者以外にないではありませんか。その者は天民を託されているのです。

民を善に導き、悪から遠ざけ、安心して生活できるようにすることが、与えられた使命ではありませんか。

その職務の報酬として高録を食(は)み、自分の家族を養い、一家の安全な暮らしがあるのであります。

ところが今や、民が飢饉におちいっているのに、自分には責任はないなどと考えています。

諸氏よ、これほど嘆かわしいことを天下に知りません。

この時にあたり、よく救済策を講じることができればよし、

もしできない場合には、治者は天に対して自己の罪を認め、みずから進んで食を断ち、死すべきであります。

ついでに配下の大夫、郡奉行、代官も同じく食を断って死すべきであります。

その人々もまた職務を怠り、民に死と苦しみをもたらしたからであります。

飢えた人々に対して、そのような犠牲のもたらす道徳的影響は、ただちに明らかになりましょう。


『ご家老様と奉行様が、もともとなんの責任もないにもかかわらず、私たちの困窮のために責任をとられた。
私たちがおちいっている飢饉は、豊かなときに備えようとはせずに、贅沢と無駄遣いをしたためだ。
立派なお役人らをいたましい死に追いやったのは私たちのせいである。私たちが餓死するのも当然だ』


こうして飢饉に対する恐れも餓死に対する恐怖も消え去るでありましょう。

心は落ちつき、恐怖は除かれ、十分な食料の供給も間もない。

富める者は貧しき者と所有を分かち、山に登って、木の葉、木の根も食べることになりましょう。

たった一年の飢饉では、国にある米穀をすべて消費しつくす心配はありません。

山野には緑の食物もあることです。

国に飢餓がおこるのは、民の心が恐怖におおわれるからであります。

これが食を求めようとする気力を奪って、死を招くのです。

弾丸をこめてない銃でも、撃てば臆病な小鳥を撃ち落とすことがあるように、

食料不足の年には、飢餓の話だけで驚いて死ぬことがあるものです。

したがって、治める者たちがまずすすんで餓死するならば、

飢餓の恐怖は人々の心から消え、満足を覚えて救われるでありましょう。

群奉行や代官にいたるまでの犠牲をまたずに、よい結果が訪れると思います。

このためには家老の死のみで十分であります。

諸氏よ、これが、なんの手立てもないときに飢えた民を救う方法であるのです。」

  講話は終わりました。家老は恥じて恐れいり、長い沈黙ののちに言いました。

  「貴殿の話に異議はない」

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このような強い信念と言葉で、
領主と官僚らに農村の年貢を下げる交渉をする一方で、
農民らに勤労と道徳の大切さを説いて導いていきました。


彼をこういう人もいます。


日本が生んだ偉大な事業再生家。



たとえ飢餓に陥る心配のない現在の日本にあっても、
食の重要性は変わりません。

①食べ物がなくなって生活苦に陥る潜在意識の恐れが、社会を非効率にしている。

②他国では食糧難があり、食の事業と自立支援が世界の平和と自国の尊厳を最も高める。

と僕は考えています。

だからこそこの分野において
最高のクオリティを追求しつつ、社会創造を志す事業には、
次世代を切り開く大きな可能性を秘めていると考えている。

今世紀のリーダーたる企業、あるいはリーダーたる共同体は、
「食」を中心に据えていることでしょう。


話がどんどん大きくなってしまいましたね。


結局言いたいことは、
それだけ食事というのは、
日常と人生と世界を左右するほどに重要だということです。

健康においても、人間関係においても、社会においても。
最も素朴に幸福を象徴するシーンでありながら。


食の事業を担い、
働き、
学べていることに、
誇りと感謝を感じて。

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