2015年12月27日日曜日

問題に向き合う必然性。

もし自分の本当の願いを表現したくないのなら。
もし相手の本当の願いに踏み込みたくないのなら。
その程度の間柄に留まりたいのならば、その問題の真実を捉えることも変えることも出来ない。問題解決に値する覚悟がないということであり、そもそも、その問題に向き合う必然性がなかったということ。

その相手が家族でも会社でも国家でも同じです。

本物のクリエイティビティは時代との対話から生まれる。

既存の社会の何かを信頼して、使命感を以て、生涯を懸けてコミットした。その果てに既存の世界観に絶望して、全力で築いてきた自我ごと『物語』を捨て去り、生身の命の言葉を話すようになった。

そんな人が私は好きなのだと思います。

金融経済の分野で言えば、樋口耕太郎さん。
彼は東京とニューヨーク、そして上場企業の役員として、資本主義のフロンティアを駆け抜けた。その上で、こりゃあ駄目だと結論した。誰よりも金融に本気だった彼は、自身の生き方を省みて、その体験を昇華すべく沖縄の地で事業再生家となり、次世代の金融論を語りはじめた。

医療の分野だと「平穏死のすすめ」の石飛幸三さんもその一人だろう。

過去に本気でやってきたことは、前提の前提から間違っていた。自分も社会も根本的に間違っていたのだと、明確に自覚する。そこに大きなショックを受けるが、しかし一人でその現実を受け止める。自分を許すことを通じて社会を許す。業を背負う彼らは、人を本質的には裁かなくなり、真実を厳しく見極めるようになる。

そして偉大な人物は、時代に問いかける圧倒的な表現を創りだす。

本当のクリエイティビティは、時代との本気の対話から生まれるのだと思います。

2015年12月17日木曜日

知性の公園をつくりたい。

自分の住む街に「知性の公園」をつくりたいと思ってます。

住民が主に実名で推薦する「今の私の良書」を集めて本棚に置いてゆき、会員個々の主体性に委ねて、緩やかに本をシェアします。無い知を求めて足を運ぶのではなく、各々の内に有る知を開いて分かち合う図書室です。

皆が心に置いている本たちが集う場所。TEDのような情報発信もする知的交流センター。子育てや介護にも良書をシェアしながら寄り添いたい。そんなイメージです。

良く分かち合えば自ずと良く学ぶ。そう信じて、愉しく気づきを分かち合うムード、相互理解を深める機会を育くみたい。

先の話ですけどね。

2015年12月10日木曜日

再び注目されてほしい二宮尊徳。

先日こんなツイートを見つけました。
言い訳せずに勉強しよう。二宮尊徳は農民に学問は不要だと火を使うことを禁じられたが、農業をしながら自分で菜種を育てて油を取り、その灯で学んで名を残した。こんな厳しい状況でも学ぶことで人生を大きく変えた人がいるのだ。そう考えると、自分はどんなに恵まれた環境にいるのかと思えてくるはずだ。2015/12/05 21:00
メンタリストDaiGo 

私が歴史上の人物のなかで最も敬愛するロールモデルは二宮尊徳です。
日本最大の共同体再生家であった二宮金次郎の生き方と言葉から実に多くを学びました。たとえば、人道と悟道についての捉え方も、気持ちの良いほど的を射抜いていると思います。

『悟道とはただ自然の行くところ見るだけであり、人道は行き当る所まで行くべきものである。』
『悟道と人道とは混合してはならない。悟道はただ、自然の行くところ観じ、そして勤めるところは、人道にある。』
『善知識(僧侶)を尊び、娼妓(しょうぎ)を賤しむのは迷いである。そうはいってもこのように迷わなければ人倫は行われない。迷うが故に人倫は立つのである。だから悟道は人倫に益はない。そうであっても、悟道でなければ、執着を脱する事はできない。これが悟道の妙である。』
『人倫はたとえば繩をなうようなものだ。よりがかかるのをよしとする、悟道はよりを戻すようなものだ。だからよりを戻すことをもって善とする。』
『しかし、迷いといい悟りというのは、まだ徹底していない。その本源を極めるならば迷いも悟りももともとない。迷いといえば悟りと言わざる事を得ない。悟りといえば迷いと言わざる事を得ない。本来迷いと悟りで一円の世界である。』

一円融合は、二宮尊徳の思想と世界観を最も象徴した言葉です。この世で相対するものはすべてが互いに働き合って存在を支え、一体の円として存る。戦後最初の一円札に金次郎を選んだのは誰だったのでしょうね。数百の農村の再生を手掛けた彼の精神を以て、敗戦した日本国家の再生を願ったのではないでしょうか。

彼の施した報徳金融は、自然人による自然人のための、永続的な再生クラウドファンディングです。
再び注目されてほしい人物です。

2015年11月26日木曜日

3歳の娘の夢。

娘もブルーハーツの夢が好き。CDプレイヤーやスマホYouTubeで流しながら、一緒に歌って踊ってわいわい楽しめる曲の一つだ。
さきほどのこと。
『おれにはーゆめがあるー』という歌詞が流れたところで、ふと聞いてみた。
「ねぇ○○。○○には夢あるの?」
「あるよ」
「なになに?」
「よろこぶとか、あそぶとか。こまるとか、なくとか」
「ハハ! そうだな」
思わず抱きしめちゃいました。
三歳児の娘の方がわかってるみたい。それにしても可愛いです。

結婚する二人が大切なこと。

結婚する二人が大切なことは何だろう。

昨日は妻とそんな話をした。
身近に上手くいっていない例が増えてきた感があったところだ。
彼女の答えは、

「一人でも幸せに生きられること」

本当にその通り。

あなたといると私は幸せになれる。一緒に幸せになりたい、ではダメ。
あなたとなら私は不幸になっても構わない。一緒に旅しようよ、がいい。

死ぬ思いで関係を再生させた二人の人生訓です。

2015年11月17日火曜日

妻が『セムラーイズム』を読んだこと。

先日、妻が企業経営ノンフィクション『セムラーイズム』を3日かけて読みました。私に何ができるかな?と、家族の将来のためになる何かをしたいと意見を聞いてくれたので、これを読んでみて欲しいと言った。新卒三年目、証券会社に勤務していた頃、それまでの私の仕事観と事業観をぶっ飛ばした本だ。

妻は文学部だ。小中学生の時から日本文学が好きだった。読んだ本は去年も今年も百冊を超えるが、大半が小説。敬愛するのは村上春樹とレディガガ。もう一人加えるとすれば岡本太郎。文芸だ。社会経済や経営の話には弱い。興味が湧かない。同じ文系でも政治経済学部から金融業を選ぶ私とは対照的な感性だ。

そんな彼女が、読みづらい読みづらい言いながら読んでくれました。嬉しかった。



二人の未来のために自分ができることは何だろうかと、真摯な関心を持って聞いたこと。私が重んじたいと考えていることを理解しようとしたこと。私の思う『二人のために』を信頼して、自分の馴染みのない世界のことでも、自分のこととして受けとめようとしたこと。その心を、私は重んじたいと強く感じています。

読む本に読む価値があるから、読むんじゃない。相手の重んじる心をよく理解したいから。大切な人の、大切にしたいことを、大切にしたいから。だから本をシェアする。よきパートナーであろうとする心と行動に価値があるんだと思います。

感想の要約。
読みづらかった。長いし。ところどころ面白かったけど。昔っからあなたが色んな言い方で言ってきたことで、特別新しい内容ではなかったよ。

まぁこの感想も嬉しかったりします。

2015年11月12日木曜日

自由に生きるということ。

私は私の好きなことを好きなだけやるんだ、みたいな自由って、大して自由じゃない。

自分の好き嫌いに関係なく、私にご縁があると思えば何事もやるよ、その時々の私の好きなようにね。

本当に自由な人ってそんな感じ。


自由とは自立であり、その心の奥は、どっちでも構わないよっていう余白なんじゃないかな。

どっちでも構わないよっていう余白。しかし今の私はこっちのが良いんだよっていうユニークさの自覚。これなら命懸けで現実にしたいなっていう覚悟。

自由に生きるってそういうこと。

2015年10月28日水曜日

なぜ勉強するのか。

勉強する意味がわかりません。これが将来何の役に立つの?そう中学二年生に聞かれたとき、先生や親たちはどう答えるだろう。

□□□□□□□
学生「算数はわかります。足し算とか掛け算とか。でも、この数学の問題が解けるとそれがどう日常の役に立つんですか?」
学校の先生「テストとか受験とか」
学生「はぁ」(それ日常じゃないだろ)
□□□□□□□

学生「去年そんなことがありました」

「ははは、そりゃその先生の日常だよね」

学生「先生。昭和のことや、戦争や政治のこと。経済のことを勉強するのは、何となく分かります。でも何で、織田信長がどうだの、大昔の人の生活や文化がどうだの、学ぶ必要があるんですか?」

「そうだな、役に立ちそうもないよね。実際、数学も歴史も他も、役に立たない勉強が大半だ。
今は分からなくても、いつか役に立つ時がくるよ、とか。今与えられたことを一生懸命やることに意味があるんだよ、とか。少なくとも頭の発達に良い、とか。そうやって大人たちは苦しい説明をしようとするけどね。」

「まず、この勉強は将来の自分に役立つかどうか、という考え方をやめた方がいい。それじゃパワーが出ない。納得しないまま、将来に役立つという曖昧な言葉を信じて無理に取り組んで頑張っても、あとあと報われなければ裏切られた気持ちになる。また、できないと自分の無能さを恥じたり嫌悪する。」

「勉強をするとき、自分に役立つかどうかよりも大事なことがある。そのような勉強を重んじる人が、目の前にいるということ。そのような学校の勉強を、重んじる親や社会の考えがある。その事実を、重んじることだ。」

「目の前の人が重んじたいことを、まずは信頼しよう、よし受けとめてあげよう、そういう姿勢で行動することが大事なんだ。
自分の将来に役立つと思えないときは、もう実際に役立たない可能性をOKする。それでも勉強してみる。それを重んじる人の心を、重んじるために。」

「自分の努力が、自分のためじゃないとき。理解できない他人の考えを重んじるためであるとき。その姿勢は立派だよ。自分に得だと納得できることを頑張るよりもね。
それは、他人のために勉強するというわけでもなくて、自分と他人が対等で誠実に対話するために今は勉強する、ということなんだよ。」

「そういえば、先週貸した本は読んでみた?『14歳の君へ』って本。この中にある“勉学“って箇所を読んでみるといいよ。学ぶとはどういうことか、わかりやすく書いてある。まさに今のように問いかけることが、本当の考える勉強なんだよ。」

この後も続いて、教育基本法について語り合う。この法律の前文、第1条教育の目的、第2条教育の目標。それらの文言は、家庭教師として初回訪問したときに既に印刷して渡してある。それを出して、一緒に読んでみて、彼に思ったことや気になったことを聞く。
人格の完成って何だろうね。真理を求める態度って。平和で民主的な社会って。心身ともに健康な国民ってどういうこと。

そんな感じで、なぜ今勉強するのか、大真面目に考える材料を与える。教育基本法に込められているであろう大人たちの願いに、一緒に思いをはせる。私自身の考えと願いとともに。

そこまでやって、教育だと思います。

テスト前だってのに、テスト勉強に身が入らなくなる。何でこんなこと勉強するんだろうなんて、その意味に納得したがって、手が止まる。そんな若者を教えることにやりがい感じます。

2015年10月27日火曜日

妻がムーラン買いました。

妻がムーラン買いました。

当時ディズニーが初めてアジアを舞台にしたということで話題になりました。恋愛要素は隠し味程度で、お姫様系でもない。アナ雪やアラジンのように、華やかな映像と歌で魅了する代表シーンもない。

でもホントいい映画です。

これで、うちにDVDがあるディズニー映画はポカホンタスと2作になりました。

考えてみると共通するところはあって、両作品とも重要人物の格式が高く、物語の前提にある世界観はとても誠実に描かれています。ムーランは中国への敬意が、ポカホンタスはネイティブ・アメリカンへの敬意が、しっかりと物語全体に広がっています。制作チームの気高い情熱が伝わってくるんです。

妻はこんなこと言ってました。

「ムーランは、あなたの言葉で言うと『重んじる心を、重んじる』。大切な人が大切にしている価値観を、大切にしようとして、苦しむ。でも逃げない」

「最初の動機が、お父さんのため。家族のため。
ムーランの勇気は応援したくなる」

「ディズニー作品のヒロインで最も自立していると思う」

「このケチな私がDVD買うなんてよっぽどだ」

というわけでおススメです。

以下はアギレラの挿入歌「リフレクション」。
映画シーンの日本語歌詞と両方を載せます。

Look at me
I will never pass for a perfect bride
Or a perfect daughter
Can it be
I'm not meant to play this part?
Now I see
That if I were truly to be myself
I would break my family's heart
Who is that girl I see
Staring straight
Back at me?
Why is my reflection someone
I don't know?
Somehow I cannot hide
Who I am
Though I've tried
When will my reflection show
Who I am inside?
When will my reflection show
Who I am inside?

ダメね
何のために生まれてきたの私
役に立たない娘
わかる ありのままの自分をごまかせないの
水に映る派手な姿 知らない人に見えるわ
隠せないわ 自分らしさ
本当の私 いつの日か
必ず映る いつの日か

*******
三歳児の娘が、
「何のために生まれてきたのわたし
役に〜立たないむすめ〜」
を昨日実家で食事中にリピートしまくって苦笑しました。

2015年10月24日土曜日

愛の意味に気づくとき。

自分を無条件にゆるす。

それは独りに還るということであり、 

世界を本当に愛するということ。

□□□□□□
考えすぎたり ヤケ起こしちゃいけない
子どもダマしさ 浮き世なんざ
人は一人になった時に
愛の意味に気づくんだ
「Goodbye Happiness」


2015年10月15日木曜日

働く喜びは全人的に営む覚悟から。

アメリカンジョークをひとつ───
In ham and egg, the hen is only participating, but the pig is really committed.
ハム&エッグにおいて、メンドリ(雌鶏)は参加しているだけだが、ブタはガチでコミットしている。

村山昇さんのグロービスへの寄稿記事より抜粋です。
「会社員」VS「独立自営」の意識差 ―鶏の参加と豚のコミット
globis.jp/column/4537/

さて、ここに2種類の人間がいて、持論を語っています。
トン氏は20代でサラリーマンをやめ、自分が志す道で起業しました。当初から「拡大ありきの商売は志を濁らせる」という信念で、身の丈規模の自営業を続けて20年が経ちます。彼は言います───

「会社員っていうのはどこまでいっても、仕事がどこか“他人事(ひとごと)”になるんだね。何をやるにしたって会社から金が出るわけだし、それで儲けても会社の金、損を出しても会社の金だからね。リスクとリターンは結局、会社のもの。会社員は部分的にかかわるだけで、仕事が深い次元で“自分事(じぶんごと)”になることはないさ。“仕事のオーナーシップ”が浅いっていうかね。こっちはコピー1枚取る費用だって自腹。真剣さが違う。ほんとうの仕事の喜びは、リスクもリターンも自分が全身で引き受けるところでしか生まれないんだ。

企業なんてものは、得体の知れない経営意思、それはたいてい組織存続が目的化した利益追求意思だろうけど、そのもとにみんな働かされているんじゃないかな。みんな自分の評価があって、決められた枠の中のゲームで“よい点”を取るのが仕事になってる。その点、おれの仕事は、おれの想いの表現活動そのもの。働きざまが生きざまだよ」。


他方、ケイ氏は、ある企業に勤めて20年超、新規事業開発の分野で百戦錬磨。事業プロデューサーとして社内の信頼も厚い存在です。彼は言います───

「会社のリスクで、自分の思ったことをできるなんて最高のサラリーマンさ。一個の人間の信用なんて小さいし、そのちっぽけな信用で背負ったリスクで負けようものなら、立ち直るのにどれくらいの時間がかかるんだい。人生、“レバレッジ(てこ)”を利かすことを覚えなきゃ。会社をいい意味で“利用できる”人間が、幸せな職業人なんだと思う。サラリーマンにだって深い仕事はたくさんあるよ。
それに、仕事のリスクを会社に肩代わりさせることで、プライベート生活が守られるわけだ。仕事のオーナーシップを100%自分で持ったら、必ずプライベートに影響が及ぶ。持ち家より賃貸で暮らすほうが、人生全体でみれば柔軟性や広がりは出る。そういうしなやかさがぼくの生き方だ」。
……さて、あなたはトン氏、ケイ氏、どちらの持論に賛同するでしょう。

********

先ほどの村山さんの記事は、さっきシェアした妻に言わせると

「うーん、言ってることは合ってるけどあんまり好みの文章じゃなかった。わかりやすいけどやや過激というか」

「余白があるように見せて、実はない」

「どっちがいいとは言わない、って書いてあるけど明らかに前者を意識してるし」

とバッサリ。笑

妻が読んだ通り、それが村山さんの譲れない本当の主張だから。

メンドリの参加と豚のコミットの文章から思い出すことがあります。
「俺はこの会社のトップ、つまり自分が社長である意識で働いている。」と何度も飲みの席で言っていた先輩。彼はそのつもりだったようだが、それから1年ほどで、次の就職先を決めてから辞意を伝え、引き継ぎも不十分にドタバタと辞めていった。社長の意識だなんて格好良く言いながら、全人的なコミットがなかったのは明らかです。

時々思うが、多くの人は何で黙ってコソコソ転職活動するんでしょうか。次の会社に内定が決まってからじゃないと辞められない。そう考える人の割合は、私の実感では過半数を大幅に越える。何故それが常識なのだろう?(私もみずほ証券を辞めるとき、次の職が決まっていないのに退職届けを出したことを両家の親から無責任だと言われました。)

既婚者はメンドリ的参加の不正乗り換えが許される雰囲気があるようだが、社会全体に対する不誠実さは変わらないと私は思う。そんな社員ばかりだからリーダーたちも傷つくし、人間不信・社会不信になって、次第に経営は社員を立場で扱うようになっていく。で、お互い様の雇われ根性と雇いたがり根性の、信頼する対話なき組織が出来上がる。

やっぱり、、
お金がないと生きていけないっていう生存不安、そして、家族の為に稼げる社会的立場を維持できないと自分の存在価値を肯定できないという実存不安が、脅迫的なまでに強すぎるように思う。雇う側も、雇われ側の怖れや依存心を都合よく利用しすぎだと思う。
だから村山さんは、強い個になれ、とメッセージを発信し続ける。この気持ち、よくわかります。


配偶者との対話。

会社との対話。

社会との対話。

いずれも、我が身の保証ありきで、人間と人間の本当の対話ができるわけないと思います。全方位に、一貫して自分の真実を発信する覚悟がなければ、与えられた立場に寄りかかる生き方しか出来なくなります。

仕事は、自己表現であり、自分と社会との対話であり、存在を分かち合う営みだと思っています。
全人的なコミットなしには、働くことの本当の喜びはないと思います。

2015年10月9日金曜日

本シェアーズという事業。

屋号、本シェアーズ。
職業、教育家。
開業日、8月2日。
先月はじめ成田税務署に届けてきた。

事業理念、あるものをわかちあう。

事業の概要。個人教師、家庭教師、塾講師、講演、執筆。人材育成の相談、教育事業再生コンサルティング業務。文化交流企画・運営。その他、上記に付帯する業務。

事業目的は、私たちがあるものをわかちあうこと。看板事業は、心にある本を分かち合う。そのような営みがしたいということが、分かりやすく伝わるのが一番いい名前だと考えた。で、本シェアーズ。この一語を信頼した。起点を生み出したあとは、それがどう成長するかは全体との対話にお任せ。
まだ頭の中にあるばかりだが、いずれもそのうち実現するだろう。事業の核心は、既に実現している。既にやっている。

あるものを、わかちあう。シンプルにそれだけ。

私が事業をつくっていく上で大切だと思う5つを改めて。
素直な願いを込めていること。オープンな自己表現であること。分かち合う対話であること。プレゼントであること。心地よい余白があること。

開業は妻の誕生日。私たち二人のパートナーシップが一つ。私と社会くんとのパートナーシップが一つ。本シェアーズはこの両輪で走っていく。

本をシェアすること。

家入さんの『15歳から、社長になれる。ぼくらの時代の起業入門』を妻とシェアしています。出勤前に「面白い本ない?軽めの本」っていうから本棚にあるこれを渡した。
http://amzn.to/1jSay2q
後半の家入さんによる若手起業家たちへのインタビューをみて「この子たち、ほんとすごいなー。恐れがない。損なわれてない」と、さっき妻LINEが。「14歳の君へ(池田晶子)は読めなかったけど、家入さんは目線が対等で読みやすいし、愛がある。」って。
昨日通勤中で読んだ梅原さんの『勝ち続ける意志力』より面白いってさ。逆に、家庭教師で教えている中学二年生の男の子は、両方貸したけど、梅原さんの著書の方がずっと感激していた。それぞれ読み方も感じ方も違う。シェアして飛び出してくる会話も違う。本のシェアは面白いぜ。

そういえば、石飛幸三さんの『平穏死のすすめ』も介護の職場でシェアすることになりました。10冊購入、嬉しいです。
http://amzn.to/1KFNuKJ
私は介護職員初任者研修の資格取得のため、前職を4月に辞めてすぐに千葉市稲毛にある医療グループこひつじ会の介護教室に3か月間通っていました。そこで、元金融マンであり、親の介護を経て介護業界へ転職されたベテラン女性講師からお勧めだよと手渡された本が『平穏死のすすめ』でした。
現代医療を問う、そして、これからの介護のターミナル・ケアのモデルを示す、素晴らしい著書でした。妻もこの本には感銘を受けていました。私の上司の看護師もです。

人々の願いの真実は、一流の生き方をする人物が記した本がシェアされることで、より深く伝わりあい、交じり合います。
人間に向き合う本物のリーダーによって、真実の願いが深く交り合うようなコミュニケーションがなされれば、現実は自ずと普遍的健全さへ導かれると私は信じます。

2015年10月4日日曜日

良き学び方のモデル。

良書のシェア、実名ブログ、共同体貢献活動。
この三点セットを学生に促したい。

学校ありきではなく、家庭ありきでもなく、
自分ありきで聞く、話す、読む、書く。

自分の願いありきの受容と自己表現を通じて、人と喜びを分かち合って、人間関係を築いて、営みを展開させて、そのプロセスを楽しみなさいって。

部活する暇ないかも。

そのように自分と社会が純粋なコミュニケーションをしていれば、人は勝手に触発される。気づかされる。学びたくなり、内発的に行動する。結果、健全に成長する。
そんな子育て、塾を試してみるつもりです。
まずは私が実践しています。


2015年10月2日金曜日

他者の生き方をリスペクトしているから本気で対話したくなる。

村上春樹のような自由な精神の職人的作家が好きだし、
岡本太郎のような全人間的に闘う芸術家も好きだし、
二宮金次郎のような社会を根本から再生するリーダーも好きだ。

自分の心にはいろいろな生き方のロールモデルがある。

一方で、そういう畏敬の念を抱くような凄い生き方ばかりではなく、もっと気楽な考え方を実践する人も好きだ。社会の構造的な暴力性から出来るだけ距離を置いて、ただ人間として健全な日々を過ごしたい。素朴な願いを大切にして、自分に正直になって自然体で生きようとする人たちに、私は好感を抱いている。

さらに言うと、私の両親も妻の両親も、日本の政治経済と社会常識を重んじながら(おそらく矛盾も感じながら)、愛する家族を守るために相当な努力してきた。本当に忍耐してきた人達だ。私たち夫婦は、保守的に誠実さを積み重ねてきた親の生き方の恩恵を、十分に受けてきている。他者の物語を重んじることで、人間社会に誠実であろうとし、自分の誇りと大切な家族の尊厳を守ろうとした。私たちの親は、私たちの親なりに、与えられた時代を精一杯に背負ってくぐり抜けてくれたのだと感謝している。そういう大人たちの生きた重みに敬意を覚えるようになってから、私は微笑みながら胸を張って人間を信頼できるようになった。

いろんな人達の生き方をリスペクトしているから、自分の真実を語りたい。自分の真実で受けとめたい。自分の生き方を表現して、相手が誰であろうとぶつかることを怖れず、この時代と対等に対話したいと思っている。

2015年9月30日水曜日

正直であろうとする人材を採用する。

日本最大の事業再生家である二宮金次郎はこう言いました。


『善人はなまくら刀のようなもので、悪賢い連中を使いこなすことができない。けれども賢い君主があってこれを用いれば、善政が行われて人民は安息する。悪人は、良く切れる刀のようなもので、悪賢い連中を良く使いこなす。愚かな君主はこれを用いなければその国を支配することができないが、そうすれば悪政が行われて人民は困苦する。だから、わが興国安民法のごときは、悪人を退けて善人を挙用しなければ、その功業を為し遂げることはできないのだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「語録」巻一 33)
『近頃の世の中は、嘘でも差し支えなく渡れるようだが、これは相手もやはり嘘だからだ。嘘と嘘同志だから、隙もなく、滞りもない。ちょうど雲助仲間の付き合いのようなものだ。しかし、もし嘘を持って誠に対するときは、すぐに差し支えるはずだ。例えば百枚の紙から一枚だけ取っても分からないようだが、九十九枚目まで数えれば不足する。百間の縄を五寸切っても同様、九十九間目になって足らないのが分かる。人の身代でも、一日に十文とって十五文使い、二十文とって二十五文使っていれば、年の暮れまでは分からなくとも、大晦日になってその不足が現れる。この通り、嘘は誠に対抗できないものだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「夜話」第十篇 264)
*****

優秀であろうとする人材を採用したいのか。
正直であろうとする人材を採用したいのか。
どちらの事業経営、国家運営が真に合理的でしょうか。

優秀であろうとするよりも正直であろうとすることの方が、個人も組織も社会も、比べ物にならないほど合理的だと私は思います。

株式上場する意味あるの? 後編

株式上場によって調達する資本のコストは年率10%を超えます。
その膨大な資本コスト発生の根源とメカニズムを論考したのが、沖縄の事業再生家で元インベストバンカーの樋口耕太郎さんです。

企業最大の費用は人件費ではありません

また樋口さんは2010年12月にこんなツイートもしています。
上場企業経営者の最大の悩みが、「なぜ上場してしまったのか?」という笑えない話はよくあります。
企業の発展と持続性を保障するのは、「量的」な成長ではなく、「質的」な成長以外にない。上場は前者を実現しようとする試みであり、企業の持続性とは無関係であるどころか、質を伴わない成長は衰退を早める可能性がある。
考えてみれば上場という仕組みはほんとうに不思議だ。仕組みを単純化して考えると、企業は上場によって資金を調達するが、株式市場から資本を調達するのは実質的に上場初日の一回のみ。その後延々と続く上場維持のための努力は、資金調達とはまったく無関係な企業にとってのコストである。
たった一回の、それもただでさえ高コストの資本を調達するために、永遠のコスト、それも莫大な費用を支払い続ける。サラ金利息がとても可愛らしく思える。世の中に株式上場ほど高価なお金は存在しない。サラ金からお金を借りて事業をしようとする経営者はいないのに、なぜ上場したがるのだろう。
上場するということについて、株式市場について、企業金融について。上場を考える企業経営者が是非理解するべきことをまとめたものが、僭越ながら私の「企業金融論(http://p.tl/GcEC)」。宜しければ参照下さい。従業員と顧客にとってより良い経営のために。
******
樋口さんの上場企業の金融論は本質を突いていると思います。枝葉の議論は知りません。上場企業の末路は、人口爆発と永遠の国債発行(通貨発行)に依って立つマネー成長期待フィクションの右翼あるいは奴隷の集団に成り果てます。この悲喜劇は、決して陰謀論などではなくて、無邪気な私たち現代人が『不安と期待と善意の壮大な勘違い』で書き続けているに過ぎないというのが私の結論です。

株式上場する意味あるの? 前編

サイボウズ副社長の山田さんって正直で面白い方ですね。
資本市場に上場することの意味についての、山田さんの現状認識(諦観や責任感)はめちゃくちゃ正しいと思います。そして、糸井重里事務所の上場についての問答は秀逸です。株券は楽天やアマゾンで売ればいいじゃん。東証要らなくない?って発想も同意。篠田さんは、山田さんの上場企業経営者としての本音をよく聞いた方がいいんじゃないかな。こんな健全な上場企業経営者はそうはいない。たぶん、糸井重里事務所の上場は幸せな結果にはならないだろうなと私は眺めています。

「赤字って本当にいけないことですか?」東京糸井重里事務所 篠田CFO×サイボウズ 山田副社長対談
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000323.html
上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 お客様や社員、パートナー企業からは喜んでもらっても、それは何の数値化もされないから、世の中の会計の基準からは評価されず、株主からは何をしているんだ! と言われる。それはちょっとどうなんだろうという思いはあります。
中略
そうなると、サイボウズさんにとって上場している意味はどこにあるのでしょうか?
正直、資金調達という意味ではほとんどないです。ただし、上場してみてからわかったんですが、上場会社が非上場会社に戻るのって難しいんですよ。本気でそうしようと思ったら、200億円調達しないといけませんから。そんなこと、上場する時には誰も教えてくれないんですよね。「上場しましょう。凄いことになりますよ!」と言うばかりで(笑)
中略
まあ、今はまだ"上場していること自体凄い"という言葉の信用力がありますからね。ただ、最近はシステムにより、ほぼタダに近いコストでパブリックにアクセスできるので、そうしたものを使ってお金を調達している非上場企業がたくさんあります。 僕は楽天やAmazonで株を売ってもいいと思っているんですよ。それこそ『ほぼ日』のホームページで売ってもいいですし。東証の言うとおりにしてお墨付きをもらうより、自分たちで責任を持って情報を開示し、審査も行い、ホームページで販売するという形にしたほうがわかりやすいかもしれませんよね。 
もしくは、株券をとにかく細切れにして、株主をとことん増やしてインフラとしてパブリックな会社になるか。どちらかに覚悟を決めないとやりにくいと思います。

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上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 

山田さんのこの二言には、上場企業経営者の致命的な矛盾と苦悩が詰まっているように思います。

2015年9月25日金曜日

投票数でもなく、資本量でもない、人物による人物への共感の質量。

政治の話が好きな人とほとんど気が合わないし、経済の話が好きな人ともほとんど気が合わない。でも自分は人間社会に大いに関心を注いでいるし、もっともっと社会の為になる自己表現をしたいと考えている。
借り物の社会物語に思考とポジションと表現を依存している人たちの言動は響かないんだよね。乱暴にざっくり言っちゃうとだけど。

これからの社会は、権威や資本を背景にした立場への信用力よりも、個人の正直な生き方とオープンなコミュニケーションによって流動的に開かれた「人物への信頼」が遥かに重要になっていく。この時代にシェアされるに値する生き方を世に突き出す(案外素朴な生き方)。そんな挑戦をする「世界に上場した個人」が、人間関係の生態系の重心にますますなっていく。

国際政治や経済ビジネスは争いの世界だから、より強者のグループや地位を得なくてはならない。そう考えているとしたら、とんでもない勘違いじゃないかな。立場や専門性に閉じこもる閉鎖的な生き様では「全人的な説得力」に乏しい。借り物の物語を着ている正当性の薄っぺらさは何となく分かってしまうものなのだ。

人間らしい健全な心と行動への、共感の質量。それが最大の社会的影響力となる時代。というかこれまでも、「ここぞ」というときの本気の人類は、そういうリーダー選抜をしてきたのだろうと思う。

投票数ありきでもなく、資本量ありきでもない、人物による人物への共感の質量。

立場の関係性や信用の力が1のパワーだとしたら、人物への共感と信頼の力は100の力を発揮する。人類の「ここぞ」が、日常的な感覚になる。そんな社会変化の真っただ中にいるイメージです。

2015年9月21日月曜日

セカオワのプレゼントと妻の子育ての共鳴。

昨日実家に帰省している妻とラインしていたのですが、
今NHKのセカオワ特集見てると。
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プレゼントって曲の歌詞がいい。
弱さをさらけ出していて、でも強くなりたいって気持ちもあって。
彼らは人の痛みがわからなくなることの怖さを知ってる。
それでは人を救えないことも。
中学生の過敏で悩みやすい頃に何かしらの救いがあるのは大きい。
実際にいじめられていたサオリさんが歌詞を書くことでリアリティと救いが生まれる。
人を損ない、不幸にするものはいっぱいあるけど、そのひとつが孤独感。
孤独そのものじゃなくて。
学校という閉鎖的な空間で周りの子たちと距離を感じること。
このことで私もだいぶ自分を損なった。
15歳の子たちに、ちょうど倍くらいの年齢のセカオワのメンバーが今こういう歌詞を書くことに意味がある。
同世代とか高校生が書いてもあまり意味はない。大人が書くことで子どもたちの救いになる。
そういう痛みを感じたことがない人、忘れた人には単なる中二病にしか見えないのかもね。
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この番組の感想を読んで、すぐに動画と歌詞を見ました。
歌に込められている願い。
選ばれている言葉のわかりやすさ。
確かに凄く良いと思った。
そういえば、と思いだす。
どんな子育てがしたい?
娘が生まれる前から、そんな会話をする度に妻はこう言っていた。
「人の痛みがわかる子になってほしい」
彼女の過去の痛みと今の願いが、セカオワのメッセージと共鳴したのでしょう。
□□□□□□□□□
「知らない」という言葉の意味
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
何も知らずに
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ
「知らない」ことは怖いから
醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して
自分のことまで嫌わないで
ひとりぼっちになりたくない
ここにいてよ
その言葉言えなくって
心閉ざさないで
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
「人生」のこと
あまりにも問題ばかり起きるから
難問解決プログラムなのかと思っていたけれど
だから楽しみにしながら
ゆっくり開けたら良いんだ
自分自身にその言葉を贈るよ
いつも忘れちゃうから
いま君のいる世界が
辛くて泣きそうでも
それさえも「プレゼント」
だったと笑える日が必ず来る
気付いたんだ
「プレゼント」みたいなものなんだって
何十年か好きに生きていい特別なプレゼント
ひとりぼっちになって
気付いた
本当は大切な人がたくさん
いるんだってことが
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
SEKAI NO OWARI 『プレゼント』
□□□□□□□□□
この歌詞にある「強くなりたい」という動機。私も同じです。

結婚して良かったこと。

イケダハヤトさんの記事は時々妻とシェアしています。

結婚してよかった7つのこと
http://www.ikedahayato.com/20140313/4201063.html
共感したのは特にここ。
2. 家庭内の摩擦によって、人間的に磨かれる
うちの夫婦もご多分に漏れずよくケンカをするわけですが、何百回(そんなにしてないか)も摩擦があると、さすがに色々人間として磨かれていくわけです。
特に、うちの妻は倫理的かつ論理的な判断を下す傾向が強く、頻繁にぼくが自らの過ちを悔い改める結果となります。ぼくが社会生活において比較的冷静でいられるのは、しばしば発生する妻との摩擦のおかげです。人間的に丸くなりました。ありがとう妻よ。
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うんうん頷いた。
この全人的な摩擦こそが結婚の妙。きっと。

人生において何が良くないことかなんて判断は、未熟なうちほどしたがる。でも、未熟なうちほどその主観的基準は的はずれだったりする。人間関係の摩擦によって、自分の小さな世界観が鍛えられて健全に開かれてゆくほど、「悪いこと」は悪いことではなくなってゆく。結婚は、そんなところに尊さがあるのだと思います。
もう少し的確にいえば、結婚に価値があるというよりも、
全人的にコミットしあう人間関係の継続に価値があるのでしょう。

こんな風に、夫婦で記事をシェアしてそれぞれ思ったことをよく話します。まぁしかしイケダさんは良くも悪くも誤解を怖れないで言葉を投げます(人のこと言えませんが)。村上春樹を敬愛する妻のセンスからすると、彼のような煽った感じの言い方は好きになれないそうですが、それでも彼女が私のピックアップした記事をしっかり読んでくれるのは、それだけ夫婦の対話の良き材料になっている実感があるからだと思います。

年月を積み重ねた良きパートナーは、些細な喜びを分かち合うことができる。深みのある充実した会話が出来る。時に、本気でぶつかり合うことも出来る。それは本当に愉しく、尊く、豊かなことです。精妙に逃げ場のない、チャレンジングなことです。

ほんと僕は結婚して良かったよ。

きっと人間らしく健全に生きるためには、 社会と同化する「社会人」では駄目で、 社会と対話する「自然人」であることが大事だ。

こんなツイートを読みました。ちょっと極端だけど、あえてこれくらい解り易く言っちゃう人が勢いづくのも、変革すべき時代の要請だと思います。

イケダハヤト@IHayato
会社に勤めているとどうしても「組織」に時間とエネルギーを吸われるので、「個人」の影響力を育てるのは困難になります。たとえば「電通でサラリーマンやってて広告賞取った」とかも、結局のところ「電通」に影響力が吸われちゃいますから。19:56 - 2015年9月20日
とはいえ、会社をやめて創作に打ち込めばそれでいいかというと、そういう話でもなかったり。自分を商品として、自分でプロデュースしていく努力と才覚が求められます。マーケティング能力が問われますね。ぼくはポジション取るの割とうまい方なので、こうやって稼げています。19:58
あとは世に言う「嫌われる覚悟」ですかねぇ。これがないと個人の影響力を育てるのは無理だと思います。どれだけマイルドで優しい作風でも、嫌われるときは嫌われます。嫌われるか否かは、作風の問題ではないのです。19:59
「恥じらいを捨てる」というのも、基本中の基本です。99%の人はここで止まっている気もします。なんでも出せばいいんですよ、求められているのなら。自分の変化を自分で楽しめるようになってからが勝負です。20:00
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イケダハヤトさん面白いんですよね。私とアプローチは全然違うのだけど、ちゃんと社会くんとフェアに対話しているし、共感することも多いし。
要は彼は、これが出来ているんですよね。

『コンセプチュアルな関係を内発的に築くということ』
http://chigirakoji.blogspot.jp/2015/09/blog-post_11.html

僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。
読者の顔は直接見えないし、それはある意味コンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的な」関係を、自分にとってもっとも意味あるものと定めて人生を送ってきた。
「みんなにいい顔はできない」平ったく言えばそういうことになる。
『走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)』より抜粋

きっと人間らしく健全に生きるためには、
社会と同化する「社会人」では駄目なんです。
社会と対話する「自然人」であることが大事なんです。

それが本当の自立なのだと思います。

2015年9月16日水曜日

学校に辛くて行きたくないJKの駄文を読んで。

この叫びは響いた。

学校に辛くて行きたくないJKの駄文です
http://anond.hatelabo.jp/touch/20150915075144
辛い。
今は虐められてるわけじゃない。友達も少ないながらもいる。感謝しなくちゃいけない。
でも、居場所がない。宙ぶらりんのまま落ちないように気を張ってる。
学校だけがすべてじゃないって言うけれど、中学から同じ人達ともう4年目。
学校がすべてだよ。中退なんて許してくれるわけがない。レールの他に道はない。
中学受験をして、偏差値の高い女子校に行って、途中で台無しにできるわけない。
だから。
はずされたりだとか。陰口を言われたりとか。クラス替えであの子と絶対一緒にしないでくださいって願ったりだとか。
今より醜い存在にならないように必死に透明になりながら足を踏ん張っている。
そんなのをずっと4年間続けて、自分の心はもうすり減ってなくなってるんじゃないかって思う。
15/09/1507:51
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ツイッターのタイムラインでリンクが紹介されていた。これを読んだ妻は、この子の気持ちが分かると言ってた。どこかで同じような思いを抱いたことがあるのだろう。そこに、分かりやすい不幸が現れているわけじゃない。
彼女の様な心に、私たち大人は、何を伝えることが出来るだろう。自分なら、どう応えてあげたいだろうと考えさせられた。

『今より酷い存在にならないように必死に透明になりながら足を踏ん張ってる。』

刺さる言葉だ。これ、若者だけじゃないだろうなって思う。
今の自分への違和感が極まるとき、自分の願いと怖れの本当の声を、もっと大切に聴かなければならない。

人は時に、誰の理解も得られずに孤独になって、暗く深い井戸掘りをしなければならないし、理不尽をくぐり抜けた知性を手に入れなければならない。
変わりたくないとやり過ごそうにも、覚悟や勇気が試される時は必ず来る。
彼女は今、そういう時期なのかもしれない。
学校が全てだよと言う。しかし、何故そう「思いたい」のだろう。どうして、あなたはその考えを「選びたい」のだろう。
このように主体的に問い直すことの意味が分かるだろうか?
外側を変えられないときは、内側で考えるときだよ。
学校と家庭ではない、自分の物語に出会う必要がある。自分の世界を育む必要がある。もっと本に出会うこと。人間の可能性、人生の多様性にもっと触れること。

いくつか紹介する。Amazonレビューでも読んでみて、面白そうなら手にとってみたらいい。

『自分の中に毒を持て』岡本太郎
『嫌われる勇気』岸見一郎
『〈銀の匙〉の国語授業』橋本武

私が世界一だと思う大学講義。そのレジュメは無料公開されている。
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=76
沖縄大学 人文学部 准教 樋口耕太郎

家が無くても生活していける。人のご縁に委ねて旅をし、そこから見える景色を綴っている。自分をオープンにしていれば人間は絶対に死なないと言う坂爪圭吾さんのブログ。
http://ibaya.hatenablog.com/

自分を見つめなおすヒントになれば。

女子高生は、こうして想いを言語化できていて、人の気持ちに届くほどの文章を書けている。素晴らしいことだ。成長を祈る。

2015年9月11日金曜日

コンセプチュアルな関係を内発的に築くということ

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹
 
ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先したかった。僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。僕が生活の基盤を安定させ、執筆に集中できる環境を作り、少しでも質の高い作品を生み出していくことを、多くの読者はきっと歓迎してくれるに違いない。それこそが小説家としての僕にとっての責務であり、最優先事項ではないか。そういう考え方は今でも変わっていない。読者の顔は直接見えないし、それはある意味コンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的な」関係を、自分にとってもっとも意味あるものと定めて人生を送ってきた。

「みんなにいい顔はできない」、平ったく言えばそういうことになる。
*****

村上さんの言葉の中でも特にこの一節は、私にとって最も有意義な気づきと確信に繋がっています。

「社会くんとフェアな対話をしよう。」

「自己と世界はパートナーだ。」

私はよくそんな言い回しを好んで使います。それはつまり、不特定多数の人物に向けて頭と心をパカっと開き、派手にすっ転ぶ恐怖を感じるくらい、全体重を載せてコミュニケーション&アートして、自分主導でコンセプチュアルな関係を築けたら素敵な人生になりそうだよ、ということです。
健全に自立している人たちは皆、これを自然とやれている。

もっといえば、自立していない人たちは皆、他人主導のコンセプチュアルな関係にしがみついている。

もう一度書いておきます。

『僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。』

以上、「コンセプチュアルな関係を内発的に築く」という視点でした。

2015年9月7日月曜日

生きるとは、心と世界がちゃんと対話すること。

こんなツイートを読んだ。

そんなんじゃ生きていけないよと何度も言われてきたけれど、誤解を恐れずに言えば「そこまでして(自分を殺してまででも)生きていたいとは思えない」と感じてしまう自分がいた。生活のために生きるのか、生命のために生きるのか、多分、腹を括るとは『生命のために生きる』道を選ぶ覚悟だ。(坂爪圭吾さんのTwitter)

私が私の道を行くと決めた時、一緒に歩けなくなる人がいる。どんなに大好きな人でも、速度が変わり、感覚が変わり、気づいたら同じ景色を見ることはできなくなる場合もある。悲しい、寂しい時もある。それでも自分の道を行くと決めた。新しい場所へ行くと決めた。それが私にとって「生きる」ってこと。(mayuさんのTwitter)

どちらも、そうだよねと思います。

自分が証券会社を辞めたとき。辞めたあと、周囲に反対や否定をされても、たとえ縁を切られても、本当の表現をする覚悟をしたとき。この時代の社会から捨てられたとしても、偽らない対話をしていこうと踏み込んだ内容のブログを実名で書き始めたとき。

自分も同じような心境だったのを思い出します。

生きるってどういうこと?

それぞれにいろんな答えがある。今の自分の答えを言葉にして確かめてみると、何か良い気づきがあるかもしれません。

三歳児の娘を見ていると、あぁこの子はイキイキしているなぁって思います。目の前の環境に心が素直に影響され、また、変わりゆく心のままを体現する。好き、嫌だ、やりたい、見たい、触れたい、話したい、楽しい、面白い、見て、読んで、食べたい、お腹いっぱい、もっと、もういい。世界と純粋な対話をしています。

親は子を愛する。しかし、子は親を愛さない。親を愛する前に、幼い命は、世界を愛しています。

命はいつもフェア。嘘がない。怖れがない。スピリットは、いつだって世界と対等に対話したがっている。

生きるとは、心と世界がちゃんと対話すること。

ときどき娘から素敵なことを気づかされます。

2015年8月30日日曜日

自分がおかしいのか、社会がおかしいのか。

こんなツイートを読みました。

「社会不適合者という言葉もあるけれど、鬱病患者が100万人以上もいると噂の社会に無理矢理適合させて生きるよりも、新しい社会の在り方なり理想のスタイルを(自分の生き様を通じて)実現する為の力を養う方が、多分、圧倒的に有意義だと思う。レールを外れても、大地があるから大丈夫だ。」

「鬱病とは「おかしいのは自分なのか、おかしいのは世の中なのか」と悩んだ時に、おかしいのは自分なんだと思い込んでしまった瞬間に発症する病気だと思う。年間3万人の自殺者がいる世の中は「あまりまともじゃない」と思うので、おかしいのは世の中の方なんだと思うことを推奨しています。」

「先日、不登校の息子を抱えて悩む母親と話した。母親は「このままでは息子に未来はない」と言った。私は「そんなことはない」と思った。不登校は別に問題ではなく、不登校を問題だと思うマインドが問題で、世間的なレールの上を歩く価値よりも、息子そのものの価値を認めて欲しいと思った。」
(坂爪圭吾さんのツイッターより)
*********

共感するところが多分にあります。

日本の自殺者は年間三万人。しかし統計上の「変死者」は年間14万人に達します。両者の違いは、自殺の定義、①遺言があるか、②死後24時間以内に発見されたか。変死者の半数を自殺に計上するWHOの見解を適用すれば、日本の推定自殺数は十万人に膨れ上がります。
※死因が特定できず法規上警察への通報が義務付けられた遺体の内、犯罪の疑いのあるものを除外した「非犯罪死体」は14万6千体(08年)で、その数は過去11年間で1.6倍に増加している。一方、同期間の自殺者数はほぼ3万強で変動なし。

私見ですが、うつ病の人が「世間がおかしい」といってもまぁまぁ正解ですし、「自分がおかしい」といってもまぁまぁ正解だと思います。しかしどっちのせいにしても自分が苦しいという結果は変わりません。

大切なのは、そのおかしい自分を捨て身でオープンにする勇気と、そのおかしい世間と真っ向からフェアに対話する覚悟です。

『自己と世界との関係性がおかしい』という表現がきっと一番的確です。健全な関係を自分に正直になって選び直せばいいのだと思います。

2015年8月5日水曜日

街づくりのリーダー

社会人になって二年目、2009年頃、面白法人カヤックへの転職を結構真剣に考えてた時期がありました。社長の柳澤さんが面白いなって。

地域にイノベーションは起こせるか–福岡市・鎌倉市から学ぶ楽しい町づくり 
http://logmi.jp/80188
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鎌倉に本社があるカヤックの柳澤です。今日はカマコンバレーという活動の話ということで、カマコンバレーがどういう活動をしているか、どういう事例が生まれたか、あとかなりうまくいっていろんな行政の方が地方から見学に来るので……カマコンバレー式の仕組みを地方でもう5、6ヵ所展開して根付いているんですけれども、なぜうまくいっているか、と。この3つの話をすると5分ではたぶん終わらなくて。
吉田:5分でお願いします(笑)。
柳澤:終わらないので、なぜうまくいっているのかはあとで話そうと思って。じゃあカマコンバレーの仕組みを1分くらいでお話します。月に1回定例会をやっているだけです。地元のITとか、さっきデザインの話もありましたが、クリエイティブの企業や個人。都内で働いているような方が参加しまして。ただ実は中学生から80代くらいまでいるんですけどね。
毎月150人くらいが参加して。地元ですでにおもしろい活動をしている人をゲストで5組呼んで、1組5分でプレゼンをしてもらったあとに、自分が興味のあるところに分かれてクリエイティブやITでその活動に対してどんなお手伝いができるかをみんなで必死にブレストをすると。それだけをやっているだけです。
それをやるとやりたくなっちゃうので、さっきの話と一緒で自然発生的に手伝いたいチームが発足され、あとは分科会で勝手に行われていくと。さらにお金が必要なときは鎌倉専用のクラウドファンディングでお金を集めて支援すると。この流れを2、3年やっているうちに、いろいろな会社が生まれたり。
いろいろなプロジェクトが、自分がプレゼンを聞いていてやりたいと言って手を挙げてやることもありますし、お手伝いをしてその活動が大きくなることもある。さらに1年で60組プレゼンがありますから、町づくりに関わりたい人が何らかの形で参加できるようになるというということで、住んでいるのが楽しくなるという仕組みでやってるんですね。
中略
柳澤:自分ごと、つまり「この町は自分がつくっている」となると楽しく住めるようになる。これは会社でカヤックがそうだったので。「自分がこの会社をつくっている」となると、おもしろく働けるということだったので。
地域も一緒だろうということで、地域活動に関わる人が増えれば増えるほどたぶん好きになるんだろうと。全部自分ごと化して、それぞれ活動している人たちを勝手に応援して、参加していきましょうということでつくったんですけど。
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本物の街づくりのリーダーは、
皆の願いに純粋に関心を注いで「話そうよ」と根気よく語りかけ続け、
住民の自発的な対話と表現がシェアされるコミュニケーション機会を創っては愉しみ、
そのプロセスや体験やストーリーの面白さを世間にオープンにすることで、
街の外側の人々に対しても注目に値するケーススタディを提供し、彼らの関心にも開いたコミュニケーションで歓迎し、
シナジーを生むご縁を引き寄せ、自分たちの街づくりの意義や精神性やビジョンへの共感・共鳴を呼び、
巻き込んだマンパワーによって共同体内部における存在感とメッセージの説得力を拡大し、
意欲と協力の質量は台風のごとく大きくなってゆき、
不可能だと思われた理想を無理のない自然な展開で実現する。

そんなリーダー集団をつくる事業をやりたいと思っています。この柳澤さんの記事は参考になりました。