2015年9月21日月曜日

きっと人間らしく健全に生きるためには、 社会と同化する「社会人」では駄目で、 社会と対話する「自然人」であることが大事だ。

こんなツイートを読みました。ちょっと極端だけど、あえてこれくらい解り易く言っちゃう人が勢いづくのも、変革すべき時代の要請だと思います。

イケダハヤト@IHayato
会社に勤めているとどうしても「組織」に時間とエネルギーを吸われるので、「個人」の影響力を育てるのは困難になります。たとえば「電通でサラリーマンやってて広告賞取った」とかも、結局のところ「電通」に影響力が吸われちゃいますから。19:56 - 2015年9月20日
とはいえ、会社をやめて創作に打ち込めばそれでいいかというと、そういう話でもなかったり。自分を商品として、自分でプロデュースしていく努力と才覚が求められます。マーケティング能力が問われますね。ぼくはポジション取るの割とうまい方なので、こうやって稼げています。19:58
あとは世に言う「嫌われる覚悟」ですかねぇ。これがないと個人の影響力を育てるのは無理だと思います。どれだけマイルドで優しい作風でも、嫌われるときは嫌われます。嫌われるか否かは、作風の問題ではないのです。19:59
「恥じらいを捨てる」というのも、基本中の基本です。99%の人はここで止まっている気もします。なんでも出せばいいんですよ、求められているのなら。自分の変化を自分で楽しめるようになってからが勝負です。20:00
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イケダハヤトさん面白いんですよね。私とアプローチは全然違うのだけど、ちゃんと社会くんとフェアに対話しているし、共感することも多いし。
要は彼は、これが出来ているんですよね。

『コンセプチュアルな関係を内発的に築くということ』
http://chigirakoji.blogspot.jp/2015/09/blog-post_11.html

僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。
読者の顔は直接見えないし、それはある意味コンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的な」関係を、自分にとってもっとも意味あるものと定めて人生を送ってきた。
「みんなにいい顔はできない」平ったく言えばそういうことになる。
『走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)』より抜粋

きっと人間らしく健全に生きるためには、
社会と同化する「社会人」では駄目なんです。
社会と対話する「自然人」であることが大事なんです。

それが本当の自立なのだと思います。

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