2015年9月30日水曜日

正直であろうとする人材を採用する。

日本最大の事業再生家である二宮金次郎はこう言いました。


『善人はなまくら刀のようなもので、悪賢い連中を使いこなすことができない。けれども賢い君主があってこれを用いれば、善政が行われて人民は安息する。悪人は、良く切れる刀のようなもので、悪賢い連中を良く使いこなす。愚かな君主はこれを用いなければその国を支配することができないが、そうすれば悪政が行われて人民は困苦する。だから、わが興国安民法のごときは、悪人を退けて善人を挙用しなければ、その功業を為し遂げることはできないのだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「語録」巻一 33)
『近頃の世の中は、嘘でも差し支えなく渡れるようだが、これは相手もやはり嘘だからだ。嘘と嘘同志だから、隙もなく、滞りもない。ちょうど雲助仲間の付き合いのようなものだ。しかし、もし嘘を持って誠に対するときは、すぐに差し支えるはずだ。例えば百枚の紙から一枚だけ取っても分からないようだが、九十九枚目まで数えれば不足する。百間の縄を五寸切っても同様、九十九間目になって足らないのが分かる。人の身代でも、一日に十文とって十五文使い、二十文とって二十五文使っていれば、年の暮れまでは分からなくとも、大晦日になってその不足が現れる。この通り、嘘は誠に対抗できないものだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「夜話」第十篇 264)
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優秀であろうとする人材を採用したいのか。
正直であろうとする人材を採用したいのか。
どちらの事業経営、国家運営が真に合理的でしょうか。

優秀であろうとするよりも正直であろうとすることの方が、個人も組織も社会も、比べ物にならないほど合理的だと私は思います。

株式上場する意味あるの? 後編

株式上場によって調達する資本のコストは年率10%を超えます。
その膨大な資本コスト発生の根源とメカニズムを論考したのが、沖縄の事業再生家で元インベストバンカーの樋口耕太郎さんです。

企業最大の費用は人件費ではありません

また樋口さんは2010年12月にこんなツイートもしています。
上場企業経営者の最大の悩みが、「なぜ上場してしまったのか?」という笑えない話はよくあります。
企業の発展と持続性を保障するのは、「量的」な成長ではなく、「質的」な成長以外にない。上場は前者を実現しようとする試みであり、企業の持続性とは無関係であるどころか、質を伴わない成長は衰退を早める可能性がある。
考えてみれば上場という仕組みはほんとうに不思議だ。仕組みを単純化して考えると、企業は上場によって資金を調達するが、株式市場から資本を調達するのは実質的に上場初日の一回のみ。その後延々と続く上場維持のための努力は、資金調達とはまったく無関係な企業にとってのコストである。
たった一回の、それもただでさえ高コストの資本を調達するために、永遠のコスト、それも莫大な費用を支払い続ける。サラ金利息がとても可愛らしく思える。世の中に株式上場ほど高価なお金は存在しない。サラ金からお金を借りて事業をしようとする経営者はいないのに、なぜ上場したがるのだろう。
上場するということについて、株式市場について、企業金融について。上場を考える企業経営者が是非理解するべきことをまとめたものが、僭越ながら私の「企業金融論(http://p.tl/GcEC)」。宜しければ参照下さい。従業員と顧客にとってより良い経営のために。
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樋口さんの上場企業の金融論は本質を突いていると思います。枝葉の議論は知りません。上場企業の末路は、人口爆発と永遠の国債発行(通貨発行)に依って立つマネー成長期待フィクションの右翼あるいは奴隷の集団に成り果てます。この悲喜劇は、決して陰謀論などではなくて、無邪気な私たち現代人が『不安と期待と善意の壮大な勘違い』で書き続けているに過ぎないというのが私の結論です。

株式上場する意味あるの? 前編

サイボウズ副社長の山田さんって正直で面白い方ですね。
資本市場に上場することの意味についての、山田さんの現状認識(諦観や責任感)はめちゃくちゃ正しいと思います。そして、糸井重里事務所の上場についての問答は秀逸です。株券は楽天やアマゾンで売ればいいじゃん。東証要らなくない?って発想も同意。篠田さんは、山田さんの上場企業経営者としての本音をよく聞いた方がいいんじゃないかな。こんな健全な上場企業経営者はそうはいない。たぶん、糸井重里事務所の上場は幸せな結果にはならないだろうなと私は眺めています。

「赤字って本当にいけないことですか?」東京糸井重里事務所 篠田CFO×サイボウズ 山田副社長対談
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000323.html
上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 お客様や社員、パートナー企業からは喜んでもらっても、それは何の数値化もされないから、世の中の会計の基準からは評価されず、株主からは何をしているんだ! と言われる。それはちょっとどうなんだろうという思いはあります。
中略
そうなると、サイボウズさんにとって上場している意味はどこにあるのでしょうか?
正直、資金調達という意味ではほとんどないです。ただし、上場してみてからわかったんですが、上場会社が非上場会社に戻るのって難しいんですよ。本気でそうしようと思ったら、200億円調達しないといけませんから。そんなこと、上場する時には誰も教えてくれないんですよね。「上場しましょう。凄いことになりますよ!」と言うばかりで(笑)
中略
まあ、今はまだ"上場していること自体凄い"という言葉の信用力がありますからね。ただ、最近はシステムにより、ほぼタダに近いコストでパブリックにアクセスできるので、そうしたものを使ってお金を調達している非上場企業がたくさんあります。 僕は楽天やAmazonで株を売ってもいいと思っているんですよ。それこそ『ほぼ日』のホームページで売ってもいいですし。東証の言うとおりにしてお墨付きをもらうより、自分たちで責任を持って情報を開示し、審査も行い、ホームページで販売するという形にしたほうがわかりやすいかもしれませんよね。 
もしくは、株券をとにかく細切れにして、株主をとことん増やしてインフラとしてパブリックな会社になるか。どちらかに覚悟を決めないとやりにくいと思います。

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上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 

山田さんのこの二言には、上場企業経営者の致命的な矛盾と苦悩が詰まっているように思います。

2015年9月25日金曜日

投票数でもなく、資本量でもない、人物による人物への共感の質量。

政治の話が好きな人とほとんど気が合わないし、経済の話が好きな人ともほとんど気が合わない。でも自分は人間社会に大いに関心を注いでいるし、もっともっと社会の為になる自己表現をしたいと考えている。
借り物の社会物語に思考とポジションと表現を依存している人たちの言動は響かないんだよね。乱暴にざっくり言っちゃうとだけど。

これからの社会は、権威や資本を背景にした立場への信用力よりも、個人の正直な生き方とオープンなコミュニケーションによって流動的に開かれた「人物への信頼」が遥かに重要になっていく。この時代にシェアされるに値する生き方を世に突き出す(案外素朴な生き方)。そんな挑戦をする「世界に上場した個人」が、人間関係の生態系の重心にますますなっていく。

国際政治や経済ビジネスは争いの世界だから、より強者のグループや地位を得なくてはならない。そう考えているとしたら、とんでもない勘違いじゃないかな。立場や専門性に閉じこもる閉鎖的な生き様では「全人的な説得力」に乏しい。借り物の物語を着ている正当性の薄っぺらさは何となく分かってしまうものなのだ。

人間らしい健全な心と行動への、共感の質量。それが最大の社会的影響力となる時代。というかこれまでも、「ここぞ」というときの本気の人類は、そういうリーダー選抜をしてきたのだろうと思う。

投票数ありきでもなく、資本量ありきでもない、人物による人物への共感の質量。

立場の関係性や信用の力が1のパワーだとしたら、人物への共感と信頼の力は100の力を発揮する。人類の「ここぞ」が、日常的な感覚になる。そんな社会変化の真っただ中にいるイメージです。

2015年9月21日月曜日

セカオワのプレゼントと妻の子育ての共鳴。

昨日実家に帰省している妻とラインしていたのですが、
今NHKのセカオワ特集見てると。
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プレゼントって曲の歌詞がいい。
弱さをさらけ出していて、でも強くなりたいって気持ちもあって。
彼らは人の痛みがわからなくなることの怖さを知ってる。
それでは人を救えないことも。
中学生の過敏で悩みやすい頃に何かしらの救いがあるのは大きい。
実際にいじめられていたサオリさんが歌詞を書くことでリアリティと救いが生まれる。
人を損ない、不幸にするものはいっぱいあるけど、そのひとつが孤独感。
孤独そのものじゃなくて。
学校という閉鎖的な空間で周りの子たちと距離を感じること。
このことで私もだいぶ自分を損なった。
15歳の子たちに、ちょうど倍くらいの年齢のセカオワのメンバーが今こういう歌詞を書くことに意味がある。
同世代とか高校生が書いてもあまり意味はない。大人が書くことで子どもたちの救いになる。
そういう痛みを感じたことがない人、忘れた人には単なる中二病にしか見えないのかもね。
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この番組の感想を読んで、すぐに動画と歌詞を見ました。
歌に込められている願い。
選ばれている言葉のわかりやすさ。
確かに凄く良いと思った。
そういえば、と思いだす。
どんな子育てがしたい?
娘が生まれる前から、そんな会話をする度に妻はこう言っていた。
「人の痛みがわかる子になってほしい」
彼女の過去の痛みと今の願いが、セカオワのメッセージと共鳴したのでしょう。
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「知らない」という言葉の意味
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
何も知らずに
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ
「知らない」ことは怖いから
醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して
自分のことまで嫌わないで
ひとりぼっちになりたくない
ここにいてよ
その言葉言えなくって
心閉ざさないで
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
「人生」のこと
あまりにも問題ばかり起きるから
難問解決プログラムなのかと思っていたけれど
だから楽しみにしながら
ゆっくり開けたら良いんだ
自分自身にその言葉を贈るよ
いつも忘れちゃうから
いま君のいる世界が
辛くて泣きそうでも
それさえも「プレゼント」
だったと笑える日が必ず来る
気付いたんだ
「プレゼント」みたいなものなんだって
何十年か好きに生きていい特別なプレゼント
ひとりぼっちになって
気付いた
本当は大切な人がたくさん
いるんだってことが
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
SEKAI NO OWARI 『プレゼント』
□□□□□□□□□
この歌詞にある「強くなりたい」という動機。私も同じです。

結婚して良かったこと。

イケダハヤトさんの記事は時々妻とシェアしています。

結婚してよかった7つのこと
http://www.ikedahayato.com/20140313/4201063.html
共感したのは特にここ。
2. 家庭内の摩擦によって、人間的に磨かれる
うちの夫婦もご多分に漏れずよくケンカをするわけですが、何百回(そんなにしてないか)も摩擦があると、さすがに色々人間として磨かれていくわけです。
特に、うちの妻は倫理的かつ論理的な判断を下す傾向が強く、頻繁にぼくが自らの過ちを悔い改める結果となります。ぼくが社会生活において比較的冷静でいられるのは、しばしば発生する妻との摩擦のおかげです。人間的に丸くなりました。ありがとう妻よ。
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うんうん頷いた。
この全人的な摩擦こそが結婚の妙。きっと。

人生において何が良くないことかなんて判断は、未熟なうちほどしたがる。でも、未熟なうちほどその主観的基準は的はずれだったりする。人間関係の摩擦によって、自分の小さな世界観が鍛えられて健全に開かれてゆくほど、「悪いこと」は悪いことではなくなってゆく。結婚は、そんなところに尊さがあるのだと思います。
もう少し的確にいえば、結婚に価値があるというよりも、
全人的にコミットしあう人間関係の継続に価値があるのでしょう。

こんな風に、夫婦で記事をシェアしてそれぞれ思ったことをよく話します。まぁしかしイケダさんは良くも悪くも誤解を怖れないで言葉を投げます(人のこと言えませんが)。村上春樹を敬愛する妻のセンスからすると、彼のような煽った感じの言い方は好きになれないそうですが、それでも彼女が私のピックアップした記事をしっかり読んでくれるのは、それだけ夫婦の対話の良き材料になっている実感があるからだと思います。

年月を積み重ねた良きパートナーは、些細な喜びを分かち合うことができる。深みのある充実した会話が出来る。時に、本気でぶつかり合うことも出来る。それは本当に愉しく、尊く、豊かなことです。精妙に逃げ場のない、チャレンジングなことです。

ほんと僕は結婚して良かったよ。

きっと人間らしく健全に生きるためには、 社会と同化する「社会人」では駄目で、 社会と対話する「自然人」であることが大事だ。

こんなツイートを読みました。ちょっと極端だけど、あえてこれくらい解り易く言っちゃう人が勢いづくのも、変革すべき時代の要請だと思います。

イケダハヤト@IHayato
会社に勤めているとどうしても「組織」に時間とエネルギーを吸われるので、「個人」の影響力を育てるのは困難になります。たとえば「電通でサラリーマンやってて広告賞取った」とかも、結局のところ「電通」に影響力が吸われちゃいますから。19:56 - 2015年9月20日
とはいえ、会社をやめて創作に打ち込めばそれでいいかというと、そういう話でもなかったり。自分を商品として、自分でプロデュースしていく努力と才覚が求められます。マーケティング能力が問われますね。ぼくはポジション取るの割とうまい方なので、こうやって稼げています。19:58
あとは世に言う「嫌われる覚悟」ですかねぇ。これがないと個人の影響力を育てるのは無理だと思います。どれだけマイルドで優しい作風でも、嫌われるときは嫌われます。嫌われるか否かは、作風の問題ではないのです。19:59
「恥じらいを捨てる」というのも、基本中の基本です。99%の人はここで止まっている気もします。なんでも出せばいいんですよ、求められているのなら。自分の変化を自分で楽しめるようになってからが勝負です。20:00
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イケダハヤトさん面白いんですよね。私とアプローチは全然違うのだけど、ちゃんと社会くんとフェアに対話しているし、共感することも多いし。
要は彼は、これが出来ているんですよね。

『コンセプチュアルな関係を内発的に築くということ』
http://chigirakoji.blogspot.jp/2015/09/blog-post_11.html

僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。
読者の顔は直接見えないし、それはある意味コンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的な」関係を、自分にとってもっとも意味あるものと定めて人生を送ってきた。
「みんなにいい顔はできない」平ったく言えばそういうことになる。
『走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)』より抜粋

きっと人間らしく健全に生きるためには、
社会と同化する「社会人」では駄目なんです。
社会と対話する「自然人」であることが大事なんです。

それが本当の自立なのだと思います。

2015年9月16日水曜日

学校に辛くて行きたくないJKの駄文を読んで。

この叫びは響いた。

学校に辛くて行きたくないJKの駄文です
http://anond.hatelabo.jp/touch/20150915075144
辛い。
今は虐められてるわけじゃない。友達も少ないながらもいる。感謝しなくちゃいけない。
でも、居場所がない。宙ぶらりんのまま落ちないように気を張ってる。
学校だけがすべてじゃないって言うけれど、中学から同じ人達ともう4年目。
学校がすべてだよ。中退なんて許してくれるわけがない。レールの他に道はない。
中学受験をして、偏差値の高い女子校に行って、途中で台無しにできるわけない。
だから。
はずされたりだとか。陰口を言われたりとか。クラス替えであの子と絶対一緒にしないでくださいって願ったりだとか。
今より醜い存在にならないように必死に透明になりながら足を踏ん張っている。
そんなのをずっと4年間続けて、自分の心はもうすり減ってなくなってるんじゃないかって思う。
15/09/1507:51
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ツイッターのタイムラインでリンクが紹介されていた。これを読んだ妻は、この子の気持ちが分かると言ってた。どこかで同じような思いを抱いたことがあるのだろう。そこに、分かりやすい不幸が現れているわけじゃない。
彼女の様な心に、私たち大人は、何を伝えることが出来るだろう。自分なら、どう応えてあげたいだろうと考えさせられた。

『今より酷い存在にならないように必死に透明になりながら足を踏ん張ってる。』

刺さる言葉だ。これ、若者だけじゃないだろうなって思う。
今の自分への違和感が極まるとき、自分の願いと怖れの本当の声を、もっと大切に聴かなければならない。

人は時に、誰の理解も得られずに孤独になって、暗く深い井戸掘りをしなければならないし、理不尽をくぐり抜けた知性を手に入れなければならない。
変わりたくないとやり過ごそうにも、覚悟や勇気が試される時は必ず来る。
彼女は今、そういう時期なのかもしれない。
学校が全てだよと言う。しかし、何故そう「思いたい」のだろう。どうして、あなたはその考えを「選びたい」のだろう。
このように主体的に問い直すことの意味が分かるだろうか?
外側を変えられないときは、内側で考えるときだよ。
学校と家庭ではない、自分の物語に出会う必要がある。自分の世界を育む必要がある。もっと本に出会うこと。人間の可能性、人生の多様性にもっと触れること。

いくつか紹介する。Amazonレビューでも読んでみて、面白そうなら手にとってみたらいい。

『自分の中に毒を持て』岡本太郎
『嫌われる勇気』岸見一郎
『〈銀の匙〉の国語授業』橋本武

私が世界一だと思う大学講義。そのレジュメは無料公開されている。
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=76
沖縄大学 人文学部 准教 樋口耕太郎

家が無くても生活していける。人のご縁に委ねて旅をし、そこから見える景色を綴っている。自分をオープンにしていれば人間は絶対に死なないと言う坂爪圭吾さんのブログ。
http://ibaya.hatenablog.com/

自分を見つめなおすヒントになれば。

女子高生は、こうして想いを言語化できていて、人の気持ちに届くほどの文章を書けている。素晴らしいことだ。成長を祈る。

2015年9月11日金曜日

コンセプチュアルな関係を内発的に築くということ

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹
 
ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先したかった。僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。僕が生活の基盤を安定させ、執筆に集中できる環境を作り、少しでも質の高い作品を生み出していくことを、多くの読者はきっと歓迎してくれるに違いない。それこそが小説家としての僕にとっての責務であり、最優先事項ではないか。そういう考え方は今でも変わっていない。読者の顔は直接見えないし、それはある意味コンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的な」関係を、自分にとってもっとも意味あるものと定めて人生を送ってきた。

「みんなにいい顔はできない」、平ったく言えばそういうことになる。
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村上さんの言葉の中でも特にこの一節は、私にとって最も有意義な気づきと確信に繋がっています。

「社会くんとフェアな対話をしよう。」

「自己と世界はパートナーだ。」

私はよくそんな言い回しを好んで使います。それはつまり、不特定多数の人物に向けて頭と心をパカっと開き、派手にすっ転ぶ恐怖を感じるくらい、全体重を載せてコミュニケーション&アートして、自分主導でコンセプチュアルな関係を築けたら素敵な人生になりそうだよ、ということです。
健全に自立している人たちは皆、これを自然とやれている。

もっといえば、自立していない人たちは皆、他人主導のコンセプチュアルな関係にしがみついている。

もう一度書いておきます。

『僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。』

以上、「コンセプチュアルな関係を内発的に築く」という視点でした。

2015年9月7日月曜日

生きるとは、心と世界がちゃんと対話すること。

こんなツイートを読んだ。

そんなんじゃ生きていけないよと何度も言われてきたけれど、誤解を恐れずに言えば「そこまでして(自分を殺してまででも)生きていたいとは思えない」と感じてしまう自分がいた。生活のために生きるのか、生命のために生きるのか、多分、腹を括るとは『生命のために生きる』道を選ぶ覚悟だ。(坂爪圭吾さんのTwitter)

私が私の道を行くと決めた時、一緒に歩けなくなる人がいる。どんなに大好きな人でも、速度が変わり、感覚が変わり、気づいたら同じ景色を見ることはできなくなる場合もある。悲しい、寂しい時もある。それでも自分の道を行くと決めた。新しい場所へ行くと決めた。それが私にとって「生きる」ってこと。(mayuさんのTwitter)

どちらも、そうだよねと思います。

自分が証券会社を辞めたとき。辞めたあと、周囲に反対や否定をされても、たとえ縁を切られても、本当の表現をする覚悟をしたとき。この時代の社会から捨てられたとしても、偽らない対話をしていこうと踏み込んだ内容のブログを実名で書き始めたとき。

自分も同じような心境だったのを思い出します。

生きるってどういうこと?

それぞれにいろんな答えがある。今の自分の答えを言葉にして確かめてみると、何か良い気づきがあるかもしれません。

三歳児の娘を見ていると、あぁこの子はイキイキしているなぁって思います。目の前の環境に心が素直に影響され、また、変わりゆく心のままを体現する。好き、嫌だ、やりたい、見たい、触れたい、話したい、楽しい、面白い、見て、読んで、食べたい、お腹いっぱい、もっと、もういい。世界と純粋な対話をしています。

親は子を愛する。しかし、子は親を愛さない。親を愛する前に、幼い命は、世界を愛しています。

命はいつもフェア。嘘がない。怖れがない。スピリットは、いつだって世界と対等に対話したがっている。

生きるとは、心と世界がちゃんと対話すること。

ときどき娘から素敵なことを気づかされます。